日本縦断3,000kmは、RUNの価値観をぶち壊してくれた

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日本縦断3,000kmは、RUNの価値観をぶち壊してくれた

On 4月 4, 2016, Posted by , In RUN,ご縁,日本縦断, With No Comments

こんばんわ!パーソナルランニングコーチのREDです!

 

先日、福岡さんとコーチングセッション、

のはずが、

ただのおしゃべりになってしまいました(^O^)

 

でも、

サハラ前のゆったりとしたおしゃべりができ、

肩の力が抜けました!

 

福岡さん、ありがとうございます!

またサハラの後にコーチングしましょう笑

 

また、同日にはサハラマラソン経験者たちからの壮行会が。

 

みなさま、ありがとうございました!

4人全員無事に完走できるように頑張ります!!

 

 

 

日本縦断3,000kmは、RUNの価値観をぶち壊してくれた

■ さて、

前回、2014年のサハラマラソンと、サハラマラソンのあと4ヶ月について書きました。

 

2年前のサハラマラソン

リタイヤしてからが本当の地獄

 

今回は、前回の最後にも触れました、

日本縦断走3000kmについて書こうと思います。

 

 

 

■『 日本縦断走3,000km』

 

あれはなんだったのか?

 

一言で言うなら、

「走れるようになりたかっただけ」だと思います。

(詳しい日本縦断記録については、下記の投稿を読んでください)

日本縦断走 3,000km 60日間の記録

注)めっっっっっっちゃ、長いですww

 

 

前回も触れましたとおり、

日本縦断前の私は、どん底状態でした。

 

身体的にも、経済状況的にも、ダメダメで、

なにかしらを変えないと、

とても状況が好転するとは思えませんでした。

 

しかも、

ちょっとやそっとのことでは、覆せるものではなく、

なにか大きな起死回生の一手というか、

相当インパクトのある何かを処置せねば、

とてもじゃないけど払拭できるものではない、と思っていました。

 

それだけ深刻な状態だったのだと思います。

 

 

そのような状況で「日本縦断」を選んだーーー

 

それは必然だったのかもしれません。

 

 

■ 他にも、

もともと「日本縦断走は2017年にする」と手元の資料に書いたことや、

 

過去にも、煮詰まったら、捨て身で新しい環境に飛び込んだこと。

(シルクロードを裸同然で一人旅したり、無知識・未経験の業種にベトナムで働いたり、)

 

なども、理由として挙げられますが、

その当時は、

「走っている自分」=「自分の在りたい姿」

と思っていたため、

「走れない状況」というのは、自分自身の存在を否定するようなものでした。

 

だから、走れるようになるためには、なんでもしていましたし、

それでもダメなので、その最終手段として、

「日本縦断」に踏み切ったのかもしれません。

 

 

 

■ さて、

最終的に日本縦断のトリガーとなったのは、

Google mapで、

「九州って、上から下まで行けばどれくらいあるんやろう?」

という単なる好奇心でした。

 

たしか九州だけで、500kmぐらいだったと思います。

 

サハラの前に、

1周間で300km走ったこともあったので、

「あ、じゃあ10日も走れば九州縦断できるやん」

と単純に計算してしまいました。

 

その次に調べたのは、

「関門海峡って、渡れるんかなぁー」

「大阪までどれくらいある?」

「日本って、野宿しても大丈夫やんなぁ?」

……………

と、続けていくうちに、

『気づけば北海道の宗谷岬までつながっていた」という(゚∀゚)♬

日本縦断3,000km

 

普通の人が考えるであろう、

・お金をどうするのか?

・ベトナムの家財道具はどうするのか?

・もとよりそんな走れるのか?

といったことは一切考えず、

「道が続いているんだから、どうにかなるだろうー」

「自分の脚が砕け散るまで、とことん走ってみようじゃないか!!」

「っていうか、めっちゃおもろいやん!この企画っ(。>﹏<。)」

と、あまりのクレイジーな企画に笑いが止まらなくなって、始めてしまったのです。

 

その後のことについては、

たとえ失敗しても、

泥臭く生きるといったことには慣れており、

「まぁ、なんとかなるだろう」

という根拠の無い自信、相当な楽観主義に物事を考えていました。

 

 

 

そうと決まれば、善は急げ。

勤めたばかりの仕事もすぐに辞め、

7月には辞表を出して、

8月に家財道具の一切を処分し、

9月頭に実家のある大阪に帰国。

9月14日には、国内線とバスを乗り継ぎ、宗谷岬まで到着して野宿、

翌日15日から一路、鹿児島の佐多岬を目指して走りだました。

IMG_0047

そこから始まって約2ヶ月後の11月13日、

約3,000kmの行程を完走しました。

 

細かいことはこちらで

 

 

■ 60日間走りきって、

『しばらくは走りたくないけど、やっぱり走りたい』

というのが、自分でも印象的でした。

(自分で言っているんですけどねw)

 

 

というのも、

日本縦断している時の自分は、常に満身状態。

「起きては食べ、食べては走り、止まっては食べ、食べたら走る。

そして、限界まで走って、飯食って寝る。」

ただひたすら、これの繰り返し。

 

雨が降る日も、日差しが照りつける日も、

田んぼの畦道や、交通量の激しい国道も、

歩道がほとんど無いトンネルや、人が賑わう東京駅も、火山灰が降り注ぐ中も、

とにかく、限界の一歩か二歩手前まで走り続けていたので、

「日本縦断とは、何なのか?」

なんて、考えている余裕もありませんでした。

 

そんな状態だから、

最後の最後まで、

「自分が走れるようになりたかったから、日本縦断を始めたのだ」

ということを忘れており、

 

かつ、

ゴールした時点では、

「満身創痍がゆえに、思うように走れていない状況」

という、

結局、全然解決してないやん(゚∀゚)!!!

というオチ汗

 

それもあってか、

「一体、日本縦断とはなんだったのか…?」

というのは、まだ頭の片隅にあります。

 

 

■ どちらにしても、

日本縦断が、私にとって大きなきっかけになったことには、変わりありません。

 

その後、

様々な人とご縁を頂けたり、

人に感謝する気持ちをより実感できるようになりました。

 

そして何より、

日本縦断によって、RUNの新たな物差しができたことで、

どんな大会に出ても、

日本縦断で毎日50km走ったことが基準となり、

ラクとか、ちょっとキツイとか、判断することができました。

それによって、気持ちも持ち様がすごく楽になりました。

 

 

少し話はそれますが、

人は誰しも、それぞれの価値観を持っています。

それを壊すことは容易ではなく、

ちょっとイレギュラーな物や事を聞いても、

すぐに日常が元の価値観に引き戻そうとします。

 

だからこそ、

インパクトのある、そして、長く尾を引くようなことをしなければ、

価値観は覆せないのではないでしょうか。

 

 

そういう意味では、

60日間、フルマラソン以上の距離を走り続けるという、

クレイジーさ、継続性というのは、

私のRUNに対する価値観を見事に打ち崩してくれました。

 

それだけでも、日本縦断した甲斐があったのかもしれません。

 

一輪車に乗ったことがある人は、

自転車に乗ることなど、いとも容易く感じるはずです。

それと同じことを日本縦断という競技(?)を通して、

経験してしまったのです。

 

 

■ さて、

これでようやく今年のサハラマラソンについて書けそうです。(長かったー)

 

というか、

出発は明後日の昼の便!!!

締め切りに間に合うか(・∀・)!?

 


[まとめ]

  • 日本縦断は、走れる自分になりたいがために始めた。
  • がしかし、毎日満身創痍状態であったため、完走しても走れるようにはならず汗
  • 日本縦断によってRUNの価値観がぶち壊されて、他の大会にでても精神的にラクに挑めるようになった。

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