『24th day ー 荷物と一体化する』
8:33 AM
出だしはまぁまぁのペースで走る。
昨日チャリダーの武本さんが泊まったであろう道の駅までは道は緩やかだった。
がしかし、道の駅を過ぎてからが過酷だった。
傾斜20度くらいある坂を登り、
高速を迂回する形で山道をくねくね走る。
普通の人は絶対来ない田舎である。
どの街でも、少し郊外に行けば田舎であることが多いが、
仙台も例外ではない。
やっと山道を抜けて工業団地まで来たときに、
2時間半経過。距離は13kmちょっと、と全然進んでない。
今日は大変な一日になりそうな気がする。
12時過ぎ、
仙台で会う約束をしているM田さんに、
予定していた3時に遅れることを連絡する。
ここから27kmを3時間で走るのなんて無理だ。
しかし、人を待たせるのは悪いので、
そこからは必死に走った。
時計も見ず、もちろんiPadも取り出さず、走り続ける。
人が待っていると思うと、おのずとスピードがあがる。
本当に集中して走り、車や路上で応援している人に気づかないくらいだ。
この時の僕は、かなり無愛想に見えたに違いない。
行けるところまで、走れるところまで、
坂であろうと、休まず走り続けた。
国道4号線から22号線に入った。
この22号線は、歩行者は丘の上を行く道路になっており、
車は丘の中をトンネルを通っていくようになっている。
おかげで僕は勾配のある坂を行かなければならない。
自転車でさえ、降りて押して歩いている人の横を、
僕はせっせと走り抜いて行った。
丘を越えると、もうそこは街であった。
大型スーパーや学校もあり、
買い物客や登下校の学生と多く出会った。
僕は明らかに浮いた存在であったが、
そんなこと気にしてられない。
彼らとぶつからないように縫うようにして走った。
仙台駅が近づくにつれて、速さが増してきたのがわかる。
荷物も旗も全く気にならない。
普通に走っているかのように、軽快に走っている。
背負っている荷物と一体化したような感じだ。
こんな体験は初めてである。
そのスピードのままに仙台駅に到着。
少しお互いの居場所がわからなかったが、
M田さんもちゃんと会えた。
そこから二人で名取市まで10km走った。
M田さんと、ランのことや大会の予定、
日本での生活のことなど走りながら喋っていた。
人と話していると時間はすぐ過ぎる。
1時間ちょっとで名取市まで着いてしまった。
普段なら道をいちいち確認しなければならないが、
M田さんが道を知っているのも大きかった。
名取に着き、M田さんに牛タンと銭湯を奢ってもらった。
僕は牛タンを「焼肉に出てくる薄い肉」と勘違いしていたので、
仙台の牛タンには驚いた。そして美味しかった。
銭湯でもゆっくりし、M田さんから新しいTABIOのソックスをもらった。
やっとテーピングで補強せずに走れる。
M田さんはその後も9時くらいまで付き合ってくれた。
明日も仕事だろうに、本当に有難い。
ベトナムから帰国すると、
それぞれの仕事があり、住む場所も違う。
なかなか会えなくなるケースが多い。
僕は縦断が終わったらどうなるか、わからないけど、
でも、今日みたいにまたいつかみんなと会いたい。
どこかの大会で一緒に走りたい。
「走っていれば、またいつか逢える」
日本帰国前に知り合いの方が言われた言葉。
僕も明日も走ろう。
今日の移動距離:50km
累計:1150km
東京まで:あと330km
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