『47th day ー 僕のサハラはまだ終わっていない』
9:39 AM
今日はすこしだけ早く出発した。
距離も短いので早めに宿に着きたい。
天気は曇り。昼から雨だとか。
走り出してすぐに右足に違和感を感じる。
あまりにも気になるので、靴を脱いでみると、
マメができていた。
すぐにテーピングで応急処置をする。
じゃないと、全然走れない。
11時半ごろ、広島とのボーダーに到着。
もういくつめの都道府県だ?
広島にはF岡さんがいる。
F岡さんとは、サハラで一緒だった。
サハラで失格、リタイアした仲間だ。
サハラーーー
2014年4月、それまでに1年半もの時間をかけてトレーニングを積み、
挑んだ250kmは惨憺たる結果だった。
ここからーー
2014年4月6日 午後7時16分
夜の砂漠を歩いていると、前に車が2台いた。目印だと思って歩いていた。
それに向かっていくと、「止まれ」と言われた。
男「Stop, 5minutes ago gate is close. You have stop here.」
まったく意味がわからない。
で、俺になにが起こるの?
僕「Later what happen to me?」
男「Finish」
彼の回答。
その言葉を聞いて呆然とした。
いや、まだ行けるよ。なんで行っちゃだめなの?理解できない…
タイムリミットは過ぎているかもしれない。
でも、でもいいじゃないか…
ペナルティーならあとで受けるよ。
行けぁいいじゃないか…
ーーーここまで
上記は、リタイヤ直後にテープレコーダーに吹き込んだものだ。
このレコーダーを聞くと、
今でも当時の言葉にならない感情がこみ上げてくる。
リタイヤ、いや、タイムオーバーになったのは、
・両足が痙攣し、攣ってしまい、
30分以上チェックポイント地点で悶えていたこと
・シューズの砂除けカバーがスタート前に取れてしまい、
足の中に砂が充満して、何度も立ち止まり、砂を取り除いていたこと
・そんな状態なので、走れず、歩くので精一杯だったこと
などが、主な原因だ。
タイムオーバーになってしまったことは、
非常に悔しく、虚しく、歯痒かった。
翌日、ベースキャンプを離れるときに、
仲間に挨拶に行ったときには、必死に笑顔を作っていたが、
きっと声は震えていただろう。
スタートの号砲を聞きながら、ジープでゴール地点へ移送されるときには、
「なんで自分はあそこにおらず、ここにいるのだろう…」
と、同じジープに乗る白人女性が泣くのを軽蔑しながらも、
自分が流す涙は止められずにいた。
がしかし、
悲しんでもいられなかった。
リタイアした日本人の方たちは、まったくと言っていいほど、
英語が話せなかったので、
僕が窓口にならざるを得なかった。
身体は1日休めば回復し、
次々とリタイアして運ばれてくる方たちが、
あまりにも痛々し過ぎたので、できる限りのサポートをした。
そうしていると、
今回のリタイアのことはすこしだけ和らいだ気がしたし、
「落ち込んでいるのは自分らしくない」と、
次のことを考えるように仕向けた。
でも、何をしていてもサハラのことは頭から離れず、
「なんで、なんであの時…」と、後悔の念だけはずっと消えなかった。
数日すると、完走した面々が帰ってきた。
その表情には精悍で、達成感、充実感で溢れていた。
次回のサハラのことを考えると、
いろいろと情報は聞いとくべきだったが、
嬉々とした彼らをみると、とてもそんな気になれなかった。
モロッコを離れる飛行機に乗る直前、
この感情を忘れないために、砂漠の方をずっと見ていた。
「必ず帰ってくる…帰ってきて次こそは必ず完走する!」
そう心の中で唱え、機内に乗り込んだ。
『僕のサハラはまだ終わっていない』
サハラでの失敗が、この日本縦断企画の発端となった。
今日の移動距離:49km
累計:2308km
福岡まで325km
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