『48th day ー 何もかも落ちていった日々からの逆転の一手』
9:45 AM
今日は長く、峠を越えないといけない。
おそらく後半の山場だ。
F岡さんがゴールで待っていることもあり、ゆっくりしてられない。
最初からペースをあげて、走り続ける。
今日は山道である。
それに加えて、雨まで降ってきた。
ポツポツといった軽い雨が、すぐにざぁざぁと激しい雨になり、
前さえ見えないような雨になった。
もうこうなれば進むことはできない。
無理に進んでみたが、トラックが道路の水たまりを勢いよく通り、
全身びしょ濡れになった。
もう走る気など起こらず、30分ほど雨宿りした。
ちょっとここでコーヒーブレイク。
本編と少しずれるが、(いや十分に関係あるが)
毎日走っていると、特段書くこともなくなってくるので、
昨日の続き、サハラ後のことについて話したい。
サハラ後、人前に出るのはすごく躊躇った。
というか、
人前に出るのが嫌で嫌で腹切って死にたい気分だった。
モロッコからパリに移り、帰国するまでの間は観光など毛頭する気もなく、
ホテルでただ引き篭もって「嫌だ、嫌だ…」とうな垂れていた。
「ほんとうに腹でも切らないと示しがつかないのではないか」とまで思った。
それはベトナムに帰ってきてからも同じで、
なるべく家から出ないようにしていた。
が、そうも言ってられず、人前に出る機会が巡ってきた。
もうどうしていいかわからず、
とにかく第一声で「すいませんでしたっ!」と土下座して謝り、笑いに変えることぐらいしかできなかった。
いろいろな人に会うたびに、サハラの事を聞かれ、
「だめでした。また来年がんばります」
原因については、
「足が攣っちゃって、タイムオーバーでした」とだけしかいえなかった。
しかし自分では、
「もっと違うところに原因があるのではないか」
と思っていた。
それでも気を取り直して、
20kmや40kmなどの長距離を自分で企画してかなり遠方の工業団地まで走りに行ったりもした。
調子に乗って、6月にはカンボジアにハーフマラソンに出たが、
2時間半近くかかり、まったく思うような結果が出なかった。
何人かの仲間を巻き込み65kmを走る企画も立てたが、
企画を立てた当の本人が30kmでリタイヤするという申し訳ない結果となった。
なにかおかしいと思い、月間走行目標距離を300kmから400kmにあげて走りまくったが、
一向に良くならず、
体感ではサハラ前の4割ぐらいしか力がないように思えた。
8月末に参加したフルマラソンでも、「足が攣ってリタイヤ」というなんとも不甲斐ない結果となった。
良くないことはほかにも波及する。
5月中旬、信じられない情報が入っていた。
4月に2014年のサハラが終わったばかりだというのに、
「2015年の大会の受付をもう開始し始める」、というのだ。
慌ててネットで確認したが、ほんとうらしい。
もちろんサハラをリタイヤしてからというものの、2015年の大会でリベンジを果たすつもりでいたが、
あまりにも速すぎてお金を用意できない。
さらに、なんとかお金を用意したところで、ベトナムから外国人が海外送金することは、
多くの書類が必要で、それが集まらない。
銀行に行って何とか送金できないか、掛け合ってみたが、やはり無理だった。
そうこうしているうちに、2015年大会の定員割れし、万事休す。
「次は2016年か…」と思うと気が遠くなった。
さらにさらに仕事上でうまくいかなくなり、日に日に貯金はマイナスになっていく。
2016年のサハラどころではない。
ほかの大会どころか、生活でさえ苦しくなってきた。
「このままではやばい…」
ランも生活も、何もかも落ちていった。
そんなときに、以前から好意にしていただいているコンサルタントの方に相談をお願いすることにした。
とは決めたものの、何を相談するかも考えておらず、
デスクの前でいつもどおり仕事をしているときだった。
お客さんの事務所をGooglemapで調べ、行き方を調べていると、
ふと思いついた。
「日本って、どれくらい距離あるんやろう?」と。
そこから妄想はとまらず、あれよあれよという間に全長3,000kmのコースが完成してしまった。
自分でも「バカだ…」と思いながら、笑いが止まらず、
コンサルタントの方にもすぐにこの企画をメールしてしまっていた。
そして、9月10日、ベトナムの一切合財を処分し、日本に帰国。
15日にはもう宗谷岬から走り出し、今に至っている。
もうこの企画は、
「一か八か、落ちていく自分を食い止める、そして再起をかけた一手」
崖っぷちの策だ。
日本縦断しても何も変わらないかもしれない。それもわかっている。
でも、何か変わるきっかけがほしかったのだ。
ランに話を戻す。
長い峠を雨の中突き進み、やっと抜けたのが4時半のこと。
雨も止み、道も楽になったが、まだそこから30kmもあった。
北海道で買った400円のカッパはビリビリに破けて、もはやただのビニールになった。
よくここまでもったと思う。
そこからは真剣に走った。
バイパスや峠をただ必死に走り続けた。
「下関まで○○km」の看板が出てきたときには、
1ヶ月前に青森で「東京まで○○km」の看板を見たことがはるか昔のように思えた。
走り続けること5時間半。
午後10時に海田市駅に着き、F岡さんに出会えた。
F岡さんは夜遅くにもかかわらず、駅前で待っていてくれた。
F岡さんがいなければ、今日は走れなかっただろう。
今日の移動距離:62km
累計:2370km
福岡まで263km
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