『60th day ー いつも誰かの背中を追いかけている』

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『60th day ー いつも誰かの背中を追いかけている』

On 11月 13, 2014, Posted by , In 日本縦断, With No Comments

9:24 AM

今日は、最終日。

佐多岬までもう走るだけだ。走らない理由はない。
足に動くよう指示し、動かす。
止まる理由がどこにあるだろうか?
最初から全力で。最後まで全力で、走るのみ。

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天候も良く、2時間で14km進んだ。
全体の1/3だ。残り28km。
もう、4,5時間もすれば全てが終わる。
そう思えば、なぜだろう、急に走る気がしなくなった。

走らない理由、そんなもの今までなかったのに。

それが今、ゴールを目の前にして、走らない理由ができてしまった。

このランが終わってしまうことが、どことなく淋しい。

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ところどころ工事していたこともあり、走りにくかったが、

トラックに気をつけながら、走り続け、

午後1時半過ぎに伊佐敷という町についた。

ここでスーパーで弁当を買って食べる。

ここからは、もうなにもない。ここが最後の町だろう。

佐多岬まで、もう残り16kmしかない。

 

 

弁当を食べていたが、

風が冷たく、あまりベンチに長く座っていたくない。

走りたい。。。

だが、かと言って、

走れば、このランの終わりに近づく。

それも嫌だ。。。

 

そんな葛藤(?)の中、
つい、スーパーでゆっくりしてしまい、気づけば2時半になっていた。

このままでは日暮れに間に合わない危険さえ出てきた。大汗

これでは昨日がんばったのが、無駄になってしまう!

走らねば。

とやかく言っている場合ではない。

最終的な答えは最初から決まっている。

「行くしかない」

ただそれだけだ。

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残り10km。
高さ150m、斜面の急な峠を息切らせながら、でも足は止めずに登り、
前方に海が見え始めたときだった。

 

突然、後ろから風が吹いた。

「走れ」

誰かがそう言っているような気がした。

ふいに、誰かが前を走っていた。

今まで一緒に走った人たちだ。

 

走る会の仲間、H澤さん、I田さん、M田さん、SS木さん、

アドミラルのメンバー、AKB、T田さん、N葉さん、

サハラで会った仲間、F岡さん、R君、

今まで一緒に走ったことのある、たくさんの人達が僕の前を走っていた。

それに追いすがるように僕は必死に走った。

 

いつもそうだ。

僕はいつも、いろんな人に引っ張られて走ってきた。

一人ではここまで走れなかったんだ。

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今まで書かなかったが、

辛いとき、挫けそうなとき、

いつもだれかが前を走っていた。

いつも誰かの背中を見ていた。

いつも誰かを追いかけていた。

先の見えないトンネルも。

止まない雨の中も。

いつ終わるかもしれない上り坂も。

凍えそうな山道も。

帽子も吹き飛ぶ向かい風の中も。

月明かりだけの暗闇の中も。

 

辛いと感じたすべての瞬間に、

誰かが前を走っていて、

それに置いていかれないように、必死で走っていた。

それによって、落ちてしまいそうな自分自身を躾け、走り続けてきた。

そんな人たちがいたことからこそ、ここまで走れた。

そんなたくさんのランナーの方に、ほんとうに感謝している。

ありがとうございます。

 

 

そんな感謝の気持ちと、これまでの長い長い道のりを思いだし、

気づけば、泣きながら走っていた。

対向車がほとんど来ないことをいいことに、流した涙も拭わずに。

ただひた向きに走っていた。

 

 

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午後4時過ぎ、

佐多岬の麓の村、大泊に着いた。

ここを右に曲がれば、GoogleMapを見ずとも、佐多岬に着く。

もう迷うことはない。

 

 

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交差点を曲がって少し行くと、佐多岬がある半島が見えた。

これまでに、いくつもの半島の突端を目指して走ってきたが、

あれが日本本土の最南端なのだ。

もうあれ以上先に走れる道はない。

 

 

いろいろな人に引っ張られて走ったおかげで、

太陽はまだ沈む気配はない。

このまま行けば、日暮れには間に合いそうだ。

昨日、強風と闇の中、70㎞走ったのが報われる。

 

 

 

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午後5時ちょうど、佐多岬に到着。

まだ先の方に灯台が見えたが、これ以上、先にいける道はない。

最南端に着いたのだ。

 

 

 

何か呆気なかった。

自分でも、到着した時にどのような感情になるのか、わからなかったが、

そこで感じたのは、

ただの『無』だった。

なにも感じなかった。

ものすごい達成感を感じるかと思っていたが、それも感じなかった。

『終わった…』

それが素直な感情だった。

ただ、無性に叫びたかった。

 

『終わったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!!』、と。

(そして、実際に大声で3回も叫んでいた。(笑))

 

でも他に言葉が出てこず、

それからしばらくは放心状態だった。

「もう、これ以上なにもを考えなくていい」

そういった60日間に及ぶRUNからの開放感があったので、思考も停止したのかもしれない。

とにかく終わったのだ。すべてもう考えたくない。

 

 

 

西の空を見ると、雲の切れ間から夕陽が見えた。

薄明かりの微かな夕陽だった。

すぐに太陽はまた雲に隠れてしまった。

たとえまた太陽が顔を出したとしても、

もう二度と同じ気持ちで夕陽を見ることはないだろう。

「二度と来ない、二度とない、その一瞬」は、僕の中で終わってしまった。

 

 

 

僕は、その一瞬の後味を確かめながら、西の雲を見て、そこに立っていた。

 

 

 

 

―こうして、僕の60日間に及ぶ3,000㎞のRUNは終わった―

 

 

 

 

最後に、

これまで長い間、くだらないバカな企画にお付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

 

自分でもこの企画を思いついた時には、

ほんとうに日本縦断できるとは、思っていませんでした。

「とにかく行けるところまで行こう、走ろう」

そう思い、

仕事も辞め、ベトナムの家財道具すべてを引き払って

ただ走るためだけの目的で日本に帰ってきて、

勢いだけで、宗谷岬までの片道切符を買い、

一歩、また一歩を足を前にしたことが、

3,000㎞、日本縦断という結果となったのだと思います。

 

そういう意味では、

この企画を思いつき、

仕事を辞める、と、

当時の上司に伝えた瞬間に歯車は回りだし、

あとはその流れに乗って走ってきただけなのかもしれません。

 

 

このブログを編集している今も、

「日本縦断とはなんだったのか?」

ということについて、

答えは得られていませんが、

ただ一つだけわかったことは、最後の動画でもお伝えしたように、

「やっぱり走りたい」

と言うことでした。

3,000kmも走って、わかったことは、ただそれだけですが、

それも自分らしく、単純で、バカでいい、と思います。

(「最後の動画」はこちら→http://red53108.com/?p=1634)

 

 

また、

最初こそ、めちゃくちゃ寒い北海道に悪戦苦闘していましたが、

本州に入ったあたりから

「人に会うこと」「だれかが待っていること」が、

モチベーションでもあり、使命感にもなり、

走り続けることができました。

そういった方たちがいたこと、いろいろな形で支援していただいたこと。

とても感謝しております。

 

 

 

日本縦断を終えて2週間以上経ちますが、今も走り続けています。

(やっぱり日本の寒さは勘弁してほしいですが…(-。-)y-゜゜゜)

当面の目標は、何においても2016のサハラです。

最終的にはヨーロッパを横縦断したいと思っています。

それも何年後になるかわかりませんが、

また今回のようなバカな企画になること間違いナシなので(笑)

どのような形でか、皆様方にご報告させていただければ、と思います。

 

長い間、ありがとうございましたm(_ _)m

 

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今日の移動距離:42km

累計:3008km

佐多岬到達。すべて終了!!

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