『60th day ー いつも誰かの背中を追いかけている』
9:24 AM
今日は、最終日。
佐多岬までもう走るだけだ。走らない理由はない。
足に動くよう指示し、動かす。
止まる理由がどこにあるだろうか?
最初から全力で。最後まで全力で、走るのみ。
天候も良く、2時間で14km進んだ。
全体の1/3だ。残り28km。
もう、4,5時間もすれば全てが終わる。
そう思えば、なぜだろう、急に走る気がしなくなった。
走らない理由、そんなもの今までなかったのに。
それが今、ゴールを目の前にして、走らない理由ができてしまった。
このランが終わってしまうことが、どことなく淋しい。
ところどころ工事していたこともあり、走りにくかったが、
トラックに気をつけながら、走り続け、
午後1時半過ぎに伊佐敷という町についた。
ここでスーパーで弁当を買って食べる。
ここからは、もうなにもない。ここが最後の町だろう。
佐多岬まで、もう残り16kmしかない。
弁当を食べていたが、
風が冷たく、あまりベンチに長く座っていたくない。
走りたい。。。
だが、かと言って、
走れば、このランの終わりに近づく。
それも嫌だ。。。
そんな葛藤(?)の中、
つい、スーパーでゆっくりしてしまい、気づけば2時半になっていた。
このままでは日暮れに間に合わない危険さえ出てきた。大汗
これでは昨日がんばったのが、無駄になってしまう!
走らねば。
とやかく言っている場合ではない。
最終的な答えは最初から決まっている。
「行くしかない」
ただそれだけだ。
残り10km。
高さ150m、斜面の急な峠を息切らせながら、でも足は止めずに登り、
前方に海が見え始めたときだった。
突然、後ろから風が吹いた。
「走れ」
誰かがそう言っているような気がした。
ふいに、誰かが前を走っていた。
今まで一緒に走った人たちだ。
走る会の仲間、H澤さん、I田さん、M田さん、SS木さん、
アドミラルのメンバー、AKB、T田さん、N葉さん、
サハラで会った仲間、F岡さん、R君、
今まで一緒に走ったことのある、たくさんの人達が僕の前を走っていた。
それに追いすがるように僕は必死に走った。
いつもそうだ。
僕はいつも、いろんな人に引っ張られて走ってきた。
一人ではここまで走れなかったんだ。
今まで書かなかったが、
辛いとき、挫けそうなとき、
いつもだれかが前を走っていた。
いつも誰かの背中を見ていた。
いつも誰かを追いかけていた。
先の見えないトンネルも。
止まない雨の中も。
いつ終わるかもしれない上り坂も。
凍えそうな山道も。
帽子も吹き飛ぶ向かい風の中も。
月明かりだけの暗闇の中も。
辛いと感じたすべての瞬間に、
誰かが前を走っていて、
それに置いていかれないように、必死で走っていた。
それによって、落ちてしまいそうな自分自身を躾け、走り続けてきた。
そんな人たちがいたことからこそ、ここまで走れた。
そんなたくさんのランナーの方に、ほんとうに感謝している。
ありがとうございます。
そんな感謝の気持ちと、これまでの長い長い道のりを思いだし、
気づけば、泣きながら走っていた。
対向車がほとんど来ないことをいいことに、流した涙も拭わずに。
ただひた向きに走っていた。
午後4時過ぎ、
佐多岬の麓の村、大泊に着いた。
ここを右に曲がれば、GoogleMapを見ずとも、佐多岬に着く。
もう迷うことはない。
交差点を曲がって少し行くと、佐多岬がある半島が見えた。
これまでに、いくつもの半島の突端を目指して走ってきたが、
あれが日本本土の最南端なのだ。
もうあれ以上先に走れる道はない。
いろいろな人に引っ張られて走ったおかげで、
太陽はまだ沈む気配はない。
このまま行けば、日暮れには間に合いそうだ。
昨日、強風と闇の中、70㎞走ったのが報われる。
午後5時ちょうど、佐多岬に到着。
まだ先の方に灯台が見えたが、これ以上、先にいける道はない。
最南端に着いたのだ。
何か呆気なかった。
自分でも、到着した時にどのような感情になるのか、わからなかったが、
そこで感じたのは、
ただの『無』だった。
なにも感じなかった。
ものすごい達成感を感じるかと思っていたが、それも感じなかった。
『終わった…』
それが素直な感情だった。
ただ、無性に叫びたかった。
『終わったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!!』、と。
(そして、実際に大声で3回も叫んでいた。(笑))
でも他に言葉が出てこず、
それからしばらくは放心状態だった。
「もう、これ以上なにもを考えなくていい」
そういった60日間に及ぶRUNからの開放感があったので、思考も停止したのかもしれない。
とにかく終わったのだ。すべてもう考えたくない。
西の空を見ると、雲の切れ間から夕陽が見えた。
薄明かりの微かな夕陽だった。
すぐに太陽はまた雲に隠れてしまった。
たとえまた太陽が顔を出したとしても、
もう二度と同じ気持ちで夕陽を見ることはないだろう。
「二度と来ない、二度とない、その一瞬」は、僕の中で終わってしまった。
僕は、その一瞬の後味を確かめながら、西の雲を見て、そこに立っていた。
―こうして、僕の60日間に及ぶ3,000㎞のRUNは終わった―
最後に、
これまで長い間、くだらないバカな企画にお付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _)m
自分でもこの企画を思いついた時には、
ほんとうに日本縦断できるとは、思っていませんでした。
「とにかく行けるところまで行こう、走ろう」
そう思い、
仕事も辞め、ベトナムの家財道具すべてを引き払って
ただ走るためだけの目的で日本に帰ってきて、
勢いだけで、宗谷岬までの片道切符を買い、
一歩、また一歩を足を前にしたことが、
3,000㎞、日本縦断という結果となったのだと思います。
そういう意味では、
この企画を思いつき、
仕事を辞める、と、
当時の上司に伝えた瞬間に歯車は回りだし、
あとはその流れに乗って走ってきただけなのかもしれません。
このブログを編集している今も、
「日本縦断とはなんだったのか?」
ということについて、
答えは得られていませんが、
ただ一つだけわかったことは、最後の動画でもお伝えしたように、
「やっぱり走りたい」
と言うことでした。
3,000kmも走って、わかったことは、ただそれだけですが、
それも自分らしく、単純で、バカでいい、と思います。
(「最後の動画」はこちら→http://red53108.com/?p=1634)
また、
最初こそ、めちゃくちゃ寒い北海道に悪戦苦闘していましたが、
本州に入ったあたりから
「人に会うこと」「だれかが待っていること」が、
モチベーションでもあり、使命感にもなり、
走り続けることができました。
そういった方たちがいたこと、いろいろな形で支援していただいたこと。
とても感謝しております。
日本縦断を終えて2週間以上経ちますが、今も走り続けています。
(やっぱり日本の寒さは勘弁してほしいですが…(-。-)y-゜゜゜)
当面の目標は、何においても2016のサハラです。
最終的にはヨーロッパを横縦断したいと思っています。
それも何年後になるかわかりませんが、
また今回のようなバカな企画になること間違いナシなので(笑)
どのような形でか、皆様方にご報告させていただければ、と思います。
長い間、ありがとうございましたm(_ _)m
今日の移動距離:42km
累計:3008km
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