リタイヤしてからが本当の地獄

Home  >>  RUN  >>  リタイヤしてからが本当の地獄

リタイヤしてからが本当の地獄

On 3月 29, 2016, Posted by , In RUN, With No Comments

 

こんにちわ!パーソナルランニングコーチのREDです!

 

先週末は、キャノンボール・六甲縦走往復112kmに参加してきました!!

 

今回は、

もう散々サハラに向けてのトレーニングをしてきたので、

これ以上、成長は望めないので、とりあえず完走を目指して走り、

18時間弱でゴール!!!

 

徹夜で走り通したので、爆睡でしたZZZ

 

 

これで、3月の怒涛のレース参加は終了。

あとは、サハラのみ!!

 

って、

気づけば、出発まであと1周間を切りました(・o・)!!!

出発は4月6日の午後便です!

 

さすがに寝坊することはないと思いますが、

久々の海外でワクワクします!!!

 

リタイヤしてからが本当の地獄

■ さて、

先日、2年前のサハラマラソンをリタイヤした時のことを書きました↓↓

2年前のサハラマラソン

今日は、それから4ヶ月のことについて書こうと思います。

 

 

■ リタイヤしたあと、

私たちは5時間ほど車に載せられて、ワルザザードの街に到着しました。

 

道中の車内では、初めこそ、悲壮な雰囲気に包まれていましたが、

しばらくすれば、泣く人もいなくなりました。

 

しかし、

依然として、雰囲気が暗いことには変わりありませんでした。

 

 

ワルザザードでは、

2人一部屋の部屋があてがわれました。

とりあえずクレジットカードは使えるので安心しましたが、

何もすることはなく、

ただただ読書をしたり、街を歩き回って時間を潰しました。

結局、このホテルで6日も過ごしたことになります。

 

同室になったMさんは、

リタイヤしたことに特に落ち込んでいる様子はありませんでした。

聞くところによると、

あまりトレーニングもしていなかったらしく、

「元から無理だったんだ」

そんなふうに思っているように見えました。

 

それに比べて、

私は必死になってサハラに向けてトレーニングをしたのに、リタイヤ。

そしてとても落ち込んでいる。

 

「これまでに俺は何やってたんだろうか…」

 

過去にどれだけ頑張ってきたとしても、

とくに頑張ってこなかっても、

結局は、ふたりとも同じ「リタイヤ」

自分が一生懸命やってきたことが、恥ずかしく感じました。

 

 

■ 日を追うごとに、リタイヤした人がホテルに到着してきます。

 

大会中こそ、脚が攣って歩くのも精一杯でしたが、

翌日には完治し、歩いたり走ったりすることもできた私は、

毎日、午後になると、

リタイヤした人が運び込まれるインフォメーションデスクまで、出向きに行きました。

 

リタイヤした人の中には、日本人も多く、

中には、靴の底が剥がれ、血豆もひどくなり、それでも走ろうとしたがために、

かなり痛々しい脚をしている人もいました。

その姿を見るのはとても堪えなかったです。

 

なによりも、

「同じリタイヤしたにもかかわらず、自分がまだ全然走れること」に、

自分への腹立たしさと、後悔ばかりが湧いてきました。

 

 

 

■ 数日すると、

ゴールした人がワルザザードにバスで到着します。

みんな、やり遂げた感や充足感で満たされていました。

 

ホテルにいて、塞ぎこんでいてはいけないと思ったので、

できるだけ、前向きに考え、

完走者の話を聞きに行ったり、

観光に同行したりしましたが、

あまりにも雰囲気が違ったので居づらく、

いつの間にか避けるようになっていました。

 

 

 

■ 1週間近くホテルでなにもすることなく、

暇を持て余していましたし、

かつ、

周囲の人との温度差があまりにもあり、

そこから逃げ出したい気持ちでしたので、

ワルザザードを離れるときには、

 

内心「やっとか」

 

とホッとしましたが、

それと同時に、

「この数日間はなんだったんだろう…?」

という、なんとも言えない感情もありました。

 

IMG_2264

 

それでも、

機内に乗り込む途中、

はるか向こうに見える茶色い大地を見えると、

悔しさがこみあげてきて、

「絶対に帰ってくる!!」

と心に決めたことだけは、今でも覚えています。

 

 

■ パリについてからも、地獄は続きました。

 

「せっかくパリまで来たのだから」と、

事前に余分に1泊取っていたのですが、

ワルザザードで多額のホテル代と滞在費を使ったため、

余裕なんてありません。

 

芸術の都・パリも、

そんなもの私にはなんの意味もなく、

ただひたすらホテルに籠もっていました。

 

部屋の窓が小さく、高いところにあったため、

陽の光も入らず、鬱屈した気分が続き、

考えたことといえば、

「いっそ、切腹でもしようか」と、考えたくらいでした。

でも、そんな勇気もなく、

そんな自分にまた情けなくなりました。

 

 

 

■ その後、また飛行機で一日近くかけて、ベトナムに帰ってきました。

(注:その当時はベトナムをメインの活動場所としていました)

 

まだサハラをリタイヤしたことを引きずっていましたが、

それ以上に、人と顔を合わすのがイヤでした。

 

絶対にサハラマラソンのことを聞かれると思っていましたし、

出発前に盛大に激励会まで開いていただいたのに、

完走できずに終わるなど、恥ずかしい限りでした。

しかも、

初日でリタイヤした、など、

情けなくて情けなくて仕方がなかったです。

 

穴はあったら入りたい、

ほんとうに合わせる顔がありませんでした。

 

 

そうはいっても、生活するためには外出しなければなりません。

ホーチミンという、狭い街では、

みな、生活圏もよく似ています。

食事する場所、使うコンビニ、美容院など、

どこかに行けば、誰か顔見知りに会います。

 

このときはそれが一番苦痛でした。

誰かに会っても、どんな顔して人に会えばいいのか、

とにかく人に会うことを恐れて、ガクガクブルブルしていました。

 

 

帰国して、3日目ぐらいに、

近くのコンビニで顔見知りにお会いしたときに、

ろくに挨拶もせず、そっこーでその場から逃げ出したことは、

とても失礼極まりなかったと思います。

でも、それくらい人に会いたくなかったのです。

 

 

 

しばらくすると、

徐々に人前に出ることも慣れてきました。

 

が、

サハラの話になると、

詳しい話をせずに、別の話に切り替えるように話を持って行きました。

いろいろと話を聞きたい人も多かったでしょう。

その人達には、ほんとうに悪いことをしました。

 

ときおり、

優しい人に、励ましの言葉をかけていただきましたが、

その気持ちが有難いぶん、それを結果に変えられなかっただけに、

逆に辛かったです。

 

 

 

■ その一方で、

「自分でも、いつまでもこのような状況はよくない」

と、わかっていたので、

なんとか気持ちを前向きにさせようと必死でした。

 

 

そのために、

「有難い」を何百回も唱え続けました。

 

「有難い」

「有難い」

「有難い」

と、

日中時間があると、ひたすら頭のなかで「有難い」を連呼し続けました。

 

 

「病は気から」と言います。

 

「現実は、変えられませんが、

その出来事を言葉によって、ポジティブに意味づけすれば、

サハラをリタイヤしたことでさえも、ポジティブに捉えられる」

と思いましたが、

 

この1年半、あまりにもサハラに強い思いで力を注いでいたので、

頭ではポジティブに捉えようとしても、

身体はなかなか言うことを聞きません。

 

 

 

そんな状態の中で、

サハラに行く前のように、

RUNの企画を立ちあげるも、自分自身が途中リタイヤ。

ハーフマラソンに参加しても、なんとかギリギリ完走。

フルマラソンに至っては救急車に運ばれてリタイヤ。

 

など、

本来の自分とはかけ離れた結果ばかり。

 

 

人に言わせれば、

『それはスランプだ』

そうですが、

だからといって、その解決方法がわかりません。

 

あまりにひどいので、

一度1週間ほど全く走らず、

RUNから距離をおいたこともありました。

 

 

■ それに加えて、

翌年のサハラマラソン(2015年大会)の募集が、

帰国後、1ヶ月もすれば開かれました。

 

しかし、

すぐに大会費(40万円)も用意することなどできません。

 

慌ててどうしようか必死になって思案しましたが、そうこうするうちに、

あっという間に定員割れしてしまい、

この時点で次のチャレンジが、早くても2年後になってしまいました。

 

絶対に翌年リベンジすることを心に誓っていましたし、

これまでにもかなりのトレーニングをしてきたのに、

また2年間もトレーニングしなければならないこと、に、

気が重くなりました。

 

 

■ また、畳み掛けるように悪いことは続きます。

 

サハラ直前に新しい職に内定していたのですが、

そちらでもうまくいきません。

いろいろと知っていくうちに、解決不可能な問題が根底にあることがわかり、

いくらやっても状況は良くなるどころか、悪くなるばかり。

生活は先細り始め、このままでは生活が破綻するのは目に見えていました。

 

 

もう何をやってもうまくいかない。

何をやったら良くなるのかもわからない。

ツライ。。。

とにかくツライ。

 

そんな出口のない地獄の日々が続いていたのです。

 

 

そんな折、思いついたのが『日本縦断走』でした。

 

かなり長くなってしまったので、また次回に続けます。


[まとめ]

  • どれだけ頑張ってもリタイヤという結果。そして、まだ体が全く動くことに、とても悔しく思った。
  • とにかく人に会いたくなく、いっその事切腹でもしようかと思ったこと。
  • 「有難い」を唱え続け、ポジティブに頭を切り替えようとしたが、
    体がついて行かず、本来の自分とはかけ離れていく。
  • 何をやってもうまくいかない、地獄の日々が続く。

ランニングコーチについてはこちら

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)