オレの背中を越えて行け!
こんにちわ!パーソナルランニングコーチのREDです!
今日もまずまずの天気(^^)/
この季節、
あまり陽が当たると、暑いですし、
当たっていなくても、蒸し暑いですから、
走るのには少し難しい季節ですね(´・ω・`)
さて、
■ 少し間が空いてしまいましたが、
サハラマラソン日記の第3弾です。
今回は、ボリュームがある文章です(^_^)
オレの背中を越えて行け!
4/8 3:10 AM
オルリーでは、なかなか眠れなかった。
眠いことには違いない。
だが、ベンチで眠るのはあまりにも窮屈すぎた。
何度も身体の体位を変えて、
しっくりくる位置を探したが、
なかなか快適なポジションは見つからなかった。
気がつくと、隣で寝ていた西欧人がいない。
周囲が少し騒がしくなり、サハラの参加者も集まってきたようだ。
また寝ようかと思ったが、それもあきらめ、
チェックインの手続きに向かう。
日本人参加者も合流し、
ひとつづつ手続きを済ませる。
列こそ長いものの、
手続きは他の国際便と同じで、いたってシンプルだ。
手続きを待つ間、
日本人同士で談笑していたが、
あまり自分の過去については、話さないでおいた。
過度の期待をされたり、自慢するのはいやだったからだ。
5時過ぎには全ての手続きを終え、
あとは機内に入るだけとなった。
まだインターネットがつながったので、FBを見ると、
たくさんのいいね!とコメントがあった。
それにどう返していいかも分からなかったので、
そのままにした。
最後にLINEで彼女に連絡を取った。
早くても次に連絡を取れるのは、16日か17日になることを告げる。
「あなたが死んだら私はどうやって生きればいいの?」
と、半ばジョークが返ってきた。
サハラで死ぬことなんて、ありはしない。
いや、リタイヤすることは、死と同等のことかもしれない。
今は不安は全くないが、
そのときは、どういう顔をして連絡を取ればいいのだろうか。
搭乗までの短な時間をなるべく彼女とLINEをし、
彼女の気が済むまで別れを惜しんだ。
4/8 9:04 AM
少し前にようやく飛行機は飛んだ。
6:15フライトの予定が、機体のトラブルで、2時間も遅れた。
特にアナウンスはなかったが(フランス語で分からなかっただけか?)
[何度か滑走路に向かうような動きをしては、
また搭乗ブリッジの位置に帰ってくる]
それを繰り返していた。
と言っても、
昨夜よく眠れなかったためか、
座席に着いた私は、すぐに眠ってしまい、
断片的な記憶しか残っていない。
まだ夜が明けていない時間のフライトだったにもかかわらず、
最終的に飛行機が飛んだころには、
朝日が顔を出していたので、
相当長く待ったことがわかるだろう。
どんどん加速していく機内で、
帰りの飛行機はどんな心境でいるだろうか、とイメージする。
やり終えた達成感か、すべてやった充足感か、
残念な結果に終わって悔しい思いか、途方に暮れているだろうか、
はたまた、とにかく寝たい、疲れた、と思慮にふけっているだろうか。
何度も言うが、蓋を開けてみないと、サハラはわからない。
もうやることはないし、あとは走るだけである。
変に力むこともなく、いつもどおり行くだけである。
サハラは例年お祭りムードの外国人も多い。
今年も機内の雰囲気は盛り上がっていたが、
不思議とそれに感化されることもなく、
ただそこに、ポツンと座っている自分がいた。
4/8 12:08 AM
ワルザザード到着。
機内はエアコンが効いていたこともあり、
あまり暑くなかったが、
太陽の光は強烈で、窓ガラスに触れると、
すぐに手を離したくなる程だった。
飛行機に乗って2時間も経った頃、
アフリカ大陸が見えてきた。
Google mapが奇跡的に反応し、
それがカサブランカだとわかった。
その向こうに白く輝くものが見える。
雪だ。
そう、山が見える、ということは、
その向こうには砂漠が広がっている。
旅の目的地、ワルザザードがそこにある。
そこまできても、目の前に薄茶色の大地が広がっていても、
まだサハラの実感は湧かなかった。
これは、私の神経がマヒしているのか、
平常心を意識するあまりか、
とにかく、特別な感情が湧かず、
山々の美しさに感嘆するだけだった。
そんな自分も、ワルザザードのイミグレを通過したときには、
ようやく、気持ちが高揚した。
主催者であるパトリックを始め、
たくさんのボランティアスタッフに拍手で迎えられたからだ。
『帰ってきた』『帰ってきたのだ』
心から実感が湧いた。
この空気感、雰囲気、熱、
これがサハラだ。
思ったより、暑くない。
(20℃ぐらい)のワルザザードが一気に、
2年前の暑かったサハラを思い出させてくれた。
ワクワク、というか、
『サハラ』を感じる。
4/8 5:11 PM
かれこれ、5時間ぐらい、バスに乗っている。
わかってはいたが、窓から見える風景はほとんど変わらない。
奇跡的にも、Google mapが反応するので、
今、移動していることはわかる。
そう、バスの終着点がわかったのだ。
奇しくも、2年前と全く同じ、『あのメルズスーガ大砂丘』。
その手前、2km地点が今回のスタート地点となる。
一瞬にして、あの記憶が蘇る。
暑くて、暑くて、一向に近づかない目的地、
脚が攣ったまま悶えたCP1、
夕暮れを独り歩いた荒野、
そして、ヘッドライトの光…
あのコースをまた繰り返すのだ。
これは試されているのだろうか?
『2年前に越えられなかった壁を、どうしても越えて行け』
と言っているのだろうか?
そんなに容易く完走させてくれないと思っていたが、
やはり、この大砂丘を避けては通れないのか?
よかろう。
この2年間、オレが何をしてきたのか、見せてやる。
あの頃よりも数段パワーアップした自分を見せてやる。
それだけのことはやってきたのだ。
初日を完走することに全力を注ぐ。
4/8 8:58 PM
全然、眠れない。みんな、よく眠れると思う。
ビバークには6時半頃に着いた。
やはり向こうに砂丘が見える。
間違いない。2年前と同じだ。
笑いさえこみ上げてくる。
やるしかない。
キャンプはてきとうに詰め込まれた。
誰と同じテントになるか、ある意味それも大事だが、
そんなことでさえ、どうでもよいように、
以前として、モチベーションは上がらなかった。
荷物を置くと、すぐに食事になる。
食事は大会側が用意してくれて、そこそこおいしかった。
それが終わると、各自テントに戻って寝る。
誰が参加しているか、以前としてわからないまま、
せっかく日本人同士で集まっているのに、ロクにコミュニケーションも取れていない。
なんと、もったいないことか。
そう内心思うが、もう何人も寝ようとしている。
緊張しているのか?不安なのか?疲れているからか?
もっと楽しんだらいいのに、と思う。
逆に言うと、自分はかなり楽しんでいる。
各テントを見まわるくらいの余裕はあるし、
先程からフラフラあちこちをぶらついている。
はっきり言って、ヒマだ。
一度サハラを経験すると、ここまで気持ちが楽なのか?
我ながら驚く。
と言っても、まだレースは始まっていない。
2日目、3日目も、今と同じような気持ちで夜を迎えたい。
星がキレイだ。
写真にはおさえられないのは、残念だと思う。
これを見ないで寝る人は、もっと残念だ。
【編集記】
■ 本文でお伝えしたとおり、
今回のサハラは、2年前のサハラと同じ、
初日にメルズスーガ大砂丘が待ち構えるコースとなりました。
■ サハラ参加者ならわかるのですが、
この大砂丘は、サハラ名物であり、基本的にはこれが一番の難所です。
2年前も、ここでリタイヤする人も多かったですし、
毎年コースが変わるサハラマラソンにおいても、
この大砂丘だけは、ほぼ毎年変わらず、コース上に設計されています。
サハラマラソンは、
毎年コースが変わる大会なので、
その年によって、ラッキー・アンラッキーはあるのですが、
日本に比べて高温で、慣れない足場(砂地)、
という環境が、
身体に負担がかかることは十分に推し量れるかと思います。
それに加えて、
大砂丘が行く手を阻む。。。
これがどれくらいハードなことかは、
正直、実際にサハラでしかわかりません。
(だからこそ、サハラマラソンにチャレンジして欲しいです!)
■ 私自身においては、
2年前に一度、それを経験しているので、
このコース設計の過酷さを肌身を持って実感していますし、
それがどれだけハードか、も、記憶に鮮明に残っています。
そんな苦い過去と、この2年間のトレーニングを、
あたかもパトリック(主催者の親玉)は知っていいたかのように、
今年のサハラマラソンで再現させた。
まるで、
『オレの背中を越えて行け』と言わんばかりの演出。
この地図を見た瞬間、
『マジか…汗』
という、焦りと、
『これも試練。
この2年間、この日のためにトレーニングしてきたのだっ!』
という、闘志も湧いてきました。
それと同時に、
初日を完走することに全力を注ぐことを心に決めました。
初日の詳しいことは、
後日のブログで書くとして、
ここで腹をくくれたことが、結果として、余裕につながったのかもしれません。
■ よく言われる話ですが、
『そこに壁があるならば、それは偶然ではなく、必然。
その人に課せられた試練』
なのだと思います。
そう考えれば、
「私の2年前のリタイヤは必然」ですし、
「今回の大砂丘も必然」です。
別に、人生訓めいたことを言う訳ではありませんが、
「そこにそれがあること」は、
「何かしら意味のあるもの」「何かしらのサインを送っていること」
と、とらえるべきでしょう。
それを、
「ツイている」「ツイていない」
で片付けると、
全部、運のせいにしてしまいます。
そうではなく、
「それも何かしらの意味があること」
と捉え、前向きに考えるほうが、ものごとはうまくいきます。
長くなりましたので、今日はここまで。
[まとめ]
- そこに壁があるならば、それは、偶然ではなく、必然。その人に課せられた試練。
- それを「ツイている」「ツイていない」で片付けてしまうと、全部、運のせいにしてしまいがち。
- 壁があるのは、何かしら意味のあること。そう捉えるほうが物事はうまくいく。
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