自分は何もできないから、走っている。
こんばんわ。パーソナルランニングコーチのREDです!
めっきり気温も下がりましたねー
走ってますか??笑
まだこの時期だと、
初めは寒いと感じても、走っているうちにだんだん温めるものです。
上のウェアを羽織るぐらいで、十分だと思います。
走る前は気持ちは、滅入りますが、
それも最初のうちだけ、と思って、積極的に走りましょう(^O^)/
自分は何もできないから、走っている。
■ 自分は「何もできない人間だ」と思っています。
大げさでもなく、本当にそう思っています。
例えば、
気遣いもできないし、
畑仕事もできないし、
曲芸もできないし、
顧客管理もできなし、
中華料理も作れないし、
ホストもできないし、
新幹線を運転できないし、
受験勉強もできないし、
会社経営もできないし、
家事もできないし、
無駄話もできないし、
ベルトコンベアーの操作もできないし、
球を打つこともできないし、
アナウンサーもできないし、
ソフトウェア開発もできないし、
パチンコもできないし、
ロシア語もできないし、
縫製作業もできないし、
ピカソみたいな絵をかくこともできないし、
小説も書けないし、
天下統一もできないし、
PCの分解もできないし、
…
…
…
…
とにかく、たくさんのことができません。
■ でも、「できることって、なんだろう?」
そう考えたときに、
自分にできること、とは、「走ること」でした。
走ることならいくらでもできます。
いくらやっても飽きません。
走っているときは自分らしくいられます。
走ることで誰かに貢献したいです。
だから、
ランニングコーチの仕事をしています。
自分ができることで世の中に貢献すること。
その一点だけです。
■ そんな自分でも、
「走ることが好きだ」と気づいたのは、走りだして随分経ってからです。
走りだして、半年も経った頃、
周りから「走るの好きなんだねー」と言われても、
「そうかなぁ?」と思っていました。
はっきりと好きだと認識したのは、もっとあとのことです。
好きかどうかは関係なかったようにおもわれます。
自分ができる「走るということ」、
それをもっとよくさせるためには、と改良を重ねてきただけです。
それが、結果的に「走ることが好き」になったんじゃないか、と。
■ 反対に、「できないこと」は最初から取り組ませんでした。
単純に食わず嫌いだったのかもしれませんけど、
強要されたり、必要に駆られて、やったことはあっても、
上手く行かなかったし、その後もやりたいと思いませんでした。
だから、今でもたくさんのことができないのです。
こんなことを言うと、
消極的ないやつ、と思われてしまいますが、
頭でわかっていても、心が動かなければ、行動できないのです。
行動できても、心がないから、成果が出ないのです。
だから、上手く行かなかった、できなかった、のかもしれませんが。
■ これからも走ることは続けていくと思います。
未来のことは何もわからないけれど、
5分後のことはほぼほぼわかるし、明日のことでもある程度は予測がつきます。
そこでは、相変わらず走っている自分がいるでしょう。
まだ自分に可能性を感じたり、やり残したことがあるから、
走り続けているでしょう。
走ることで貢献できることを模索し続けるでしょう。
■ 全員が全員、
何もかもできるようになんて、ならないでいい。
何もかもできる必要はない。
何か1つだってできるのであれば、だれかに貢献できる。
だれかは自分を必要としてくれる。
その「だれか」を探せばいい。
そんなふうに思います。
■ 幸いにも、自分にはまだ脚があります。
自分の意志に近い形で、それは動いてくれます。
走ることができるかぎり、まだ走り続けるでしょう。
それが、何もできない自分に、唯一、できることだから。
今日はここまで。
[まとめ]
- 自分にはできないことはたくさんある。でも、走ることならいくらでもできる。
- 好きかどうかではなく、できることをもっとうまくなりたいと思っていたら、結果的に好きになっていた。
- 何もかもできるようになんてならなくていい。自分のできることで世の中に貢献すればいい。
再来週、ランニングイベントを開催します!↓
https://www.facebook.com/events/640626949452177/
ご興味のある方は、是非!
One Comment so far:
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不覚にも涙が溢れたやんw