その基礎をどこまでやれるかが、その後に築く城の大きさを左右する。
こんばんわ!パーソナルランニングコーチのREDです!
日中によく図書館に行くのですが、
その隣に中学校があって、学生が校庭を走っていました。
おそらく体育の授業か何かだと思うのですが、
けっこう必死になって走っていますね。
見ていると、いろいろなフォームで走る子がいて、
早く走っていても、苦しそうな子。マイペースで淡々と走る子。など。
見ていて、
どこをどういうふうにバランスを変えれば、
もっと楽に早く走れるか、考える時間が持てて、
いい勉強になりました。
見だすと、ずっと見てしまい、肝心の図書館での勉強に手がつかないので、
ほどほどで切り上げましたが、
自分自身のRUNだけでなく、人の走っている姿を見るのも勉強になります。
その基礎をどこまでやれるかが、その後に築く城の大きさを左右する。
■ 「荒唐無稽を存在になること」を目標にいつも意識しています。
「意識する」、といっても、
実際の行動に反映されにくいので、
「荒唐無稽な◯◯、荒唐無稽な◯◯、荒唐無稽な◯◯、荒唐無稽な◯◯、荒唐無稽な◯◯…………」
と、唱えるように自分の意識に刷り込ませています。
■ よく使う荒唐無稽という言葉ですが、
辞書で引くと、
- 言説などがでたらめでよりどころがないさま。
「荒唐」は言説などによりどころがなく、とりとめのないさま。
「無稽」は根拠がないこと。でたらめであること。
「稽」は考える意。「無稽荒唐むけいこうとう」ともいう。
と書かれています。
つまるところ、
英語の「クレイジー」や「ヘンタイ」というのが、これに当てはまると思います。
一部の人、特にトレランをやっている某方は、
「ヘンタイさ」を競い合っている節がありますw
私も常々そこに刺激を受け、
触発されていることもあり、
現実がどうであれ、
『自分がそういう存在でありたい』
と、願うがゆえに、
自分に言い聞かせています。
■ 荒唐無稽を成し遂げるには、
まず「荒唐無稽な目標を持つこと」が、なによりの第一歩です。
その上で、
「荒唐無稽なことと現実の差を埋めること」
「荒唐無稽なことを達成するための手段を探す」
のです。
そして、「探して見つけた行動を淡々とやる」
それだけしかありません。
大技で事態が覆るというようなことはほとんどないのです。
■ 「するべきことを淡々とこなすこと」
それは基本に忠実であることと言えます。
ときどき飛び道具も必要ですが、
それも、基礎がしっかりした上でのことです。
「そんな無茶苦茶な」
と思われるような目標でも、
やるべきことは基本に忠実に、事を淡々と取り組むことなのです。
■ 私は、RUNにおいて、ある程度基礎ができたと思っても、
事あるごとに基礎に戻るようにしています。
基礎的な体の動きを見直すことによって、
見落としていたものが見えてくることも多々あるのです。
また、
基礎を頭と身体でしっかりと理解すると、
課題が出てきたときに、応用までしっかりと対応できます。
トレランや山登り、野球やサッカーにも、
RUNの考え方をベースに考えることが出来ます。
■ こう考えてみると、
「その基礎をどこまでやれるかが、その後に築く城の大きさを左右する。」
と言って良いのではないでしょうか。
もちろん、基礎をしっかり固めるにしても、
まず目標ありきとなります。
その基礎をどこまでしっかりと築き上げられるか。
大きな目標を掲げるのならば、
よりいっそう基礎を見直されてはいかがでしょうか?
今日はここまで。
[まとめ]
- 荒唐無稽と言い続けるのは、そういう存在で自分がありたいから、自分の意識に刷り込ませている。
- 荒唐無稽な目標を立ち上げたら、現状と目標の差を埋めること。それを淡々とやること。
- 大きな目標も基礎の土台作りが大事。基礎にどこまでやれるかが、その上に築く城の大きさとなる。
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