痛みがあることは嬉しいことだ
どーも。パーソナルランニングコーチのREDです!
最近では、
「フォームを見てください」
というご依頼が増えています。
前にも書きましたが、
やはり長距離の走り方を、学校等で学んでこなかったからですかねー
そんなときに、私のようなランニングコーチが現れると、
普段の悩みや疑問を聞いてみたくなるようです。
聞かれれば、素直に答えますが、
知識だけでは役立たないので、詳しくは直接お問い合わせください↓
痛みがあることは嬉しいことだ
■ 毎日、走っていると、
「そんなに走って、どんなケアしているんですか?」
と、ときどきご質問を受けます。
冒頭での質問と同様に、結構な頻度で聞かれます。
ある調べによると、
年間で5−6割のランナーがなんらかのケガに苦しむそうなので、
この質問もそういったケガをした経験があるので、
私に質問されたのだと思います。
■しかし、
「 どんなケアをしているか」
そのご質問への答えは、
「なにもしてないっす」
というのが、率直な答えです。
(本当に参考にもならなくて、申し訳ありません。。。)
ご質問された方がそれを聞くと、
(えっ…?)(・・;
といった顔をされますが、
本当に何もしていないのだから、
仕方がないです。
「はい、以上!」
■ と、済ませてもいいのですが、
それでは、ブログを書く程でもないので、
少しタネ明かしをすると、
「しんどくなるフォームじゃないから」
と言えば、少しは納得していただけるでしょうか。
私のフォームは特徴的で、
60日間、毎日50km以上走るクレイジーな企画で、
終始走り続けた実績があります。
そうやって染み付いたフォームは、
走る強度を上げても、基礎がしっかりしているため、
足腰が負荷に耐えられるよう、改造されているのです。
だから、
どんなに走りこんでも、けがをすることがない。
■ それと同時に、
ケガと同じようなニュアンスで捉えがちなのが、
「痛み」です。
「膝が痛い」
「腰が痛い」
「太ももの付け根が痛い」
RUNを教えていると、
よく聞くワードです。
「痛み」の捉え方は、
ネガティブな意味に捉えがちですが、
必ずしも悲観的に捉えるべきではないと考えます。
■ もちろん、
痛みの原因をたどっていけば、
走ることに起因するのは確かでしょう。
しかし、
「痛むから走らない」
という選択肢は、ただの逃げでしかありません。
時間が解決してくれることもありますが、
「時間が経って治って、また走って傷んで、また時間を頼りに治るのを待つ」
というのを繰り返していては、
なんの進歩もないのではないでしょうか。
この場合、
確実に解決策は異なってきます。
休むことではありません。
■ たとえ、痛みを感じても、
それをプラスに受け取ることもできます。
「痛みを伴うから、自分が成長している」
のです。
医学用語ではありませんが、
「成長痛」という言葉があります。
2〜6歳の幼児が原因不明の痛みを訴える症状だそうですが、
大人でも同じように、普段動かしていない筋肉を動かすと、
そりゃあ筋肉にも負担がかかるのです。
「何してくれてるねん!ボケ!」(関西弁w)
と筋肉は痛みを訴えかけてくるのです。
でも、それを当たり前のこととして、
むしろ「ウェルカム!」と受け入れることで、
人の成長は促進されます。
■ 私は、ある時から、
「痛みがあることは嬉しいことだ。」
と、思うようになりました。
(この文章だけ見れば、ただのMのように聞こえますがw)
なぜなら、
『痛みを感じる=成長=距離やタイムの向上』
という良いサイクルに入れるからです。
そうやって、考え方の視点を変え、
積極的に痛みを受け入れていくと、
自分の成長が手に取るようにわかるようになってきます。
体のケアなんかしなくても、
脚はより強く、より強固に变化して、
走れる能力を開花してくれるのです。
■ ある本で読んだのですが、
人間の体は、長い距離を走るためにできているそうです。
我々の祖先は、走る能力を1つの武器として、
何百万年前は使用していたそうです。
我々、現代人は退化してしまったのでしょうか。
そのようなことはないと思います。
世の中には、めちゃくちゃな距離を走る超人がいくらでもいるのです。
その人達と、走らない人との差は、
一重に、
「意志の問題」と言えるでしょう。
これ以上、書き出すと止まらなくなるので。
今日はこのへんで。
[まとめ]
-
痛みをどう捉えるかで、人の成長が変わる。
-
痛みから逃げていても、何の解決策にもならない。
-
痛みがあるのは嬉しいこと。より強い体を生成してくれる。
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