日本縦断3,000kmは、RUNの価値観をぶち壊してくれた
こんばんわ!
パーソナルランニングコーチのREDです!
先日、福岡さんとコーチングセッション、
のはずが、
ただのおしゃべりになってしまいました(^O^)
でも、
サハラ前のゆったりとしたおしゃべりができ、
肩の力が抜けました!
福岡さん、ありがとうございます!
またサハラの後にコーチングしましょう笑
また、同日にはサハラマラソン経験者たちからの壮行会が。
みなさま、ありがとうございました!
4人全員無事に完走できるように頑張ります!!
新着情報
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このブログは、
『ウルトラマラソンなどの
荒唐無稽なRUNをチャレンジすることで、
だれもが自己実現できる社会を実現させる』
ことを目標に、
年間5,000km走り、
様々なRUNや大会にチャレンジしてきた著者が、
その中で学んだことをお伝えするブログです。
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日本縦断3,000kmは、
RUNの価値観をぶち壊してくれた
■ さて、
前回、2014年のサハラマラソンと、
サハラマラソンのあと4ヶ月について書きました。
今回は、前回の最後にも触れました、
日本縦断走3000kmについて書こうと思います。
■『 日本縦断走3,000km』
あれはなんだったのか?
一言で言うなら、
「走れるようになりたかっただけ」
だと思います。
(詳しい日本縦断記録については、
下記の投稿を読んでください)
注)めっっっっっっちゃ、長いですww
前回も触れましたとおり、
日本縦断前の私は、どん底状態でした。
身体的にも、経済状況的にも、ダメダメで、
なにかしらを変えないと、
とても状況が好転するとは思えませんでした。
しかも、
ちょっとやそっとのことでは、覆せるものではなく、
なにか大きな起死回生の一手というか、
相当インパクトのある何かを処置せねば、
とてもじゃないけど払拭できるものではない、
と思っていました。
それだけ深刻な状態だったのだと思います。
そのような状況で「日本縦断」を選んだーーー
それは必然だったのかもしれません。
■ 他にも、
もともと、
「日本縦断走は2017年にする」と手元の資料に書いたことや、
過去にも、煮詰まったら、
捨て身で新しい環境に飛び込んだこと。
(シルクロードを裸同然で一人旅したり、
無知識・未経験の業種にベトナムで働いたり、)
なども、理由として挙げられますが、
その当時は、
「走っている自分」=「自分の在りたい姿」
と思っていたため、
「走れない状況」というのは、
自分自身の存在を否定するようなものでした。
だから、走れるようになるためには、
なんでもしていましたし、
それでもダメなので、その最終手段として、
「日本縦断」に踏み切ったのかもしれません。
■ さて、
最終的に日本縦断のトリガーとなったのは、
Google mapで、
「九州って、上から下まで行けばどれくらいあるんやろう?」
という単なる好奇心でした。
たしか九州だけで500kmぐらいだったと思います。
サハラの前に、
1周間で300km走ったこともあったので、
「あ、じゃあ10日も走れば九州縦断できるやん」
と単純に計算してしまいました。
その次に調べたのは、
「関門海峡って、渡れるんかなぁー」
「大阪までどれくらいある?」
「日本って、野宿しても大丈夫やんなぁ?」
……………
と、続けていくうちに、
『気づけば北海道の宗谷岬までつながっていた」という(゚∀゚)♬
普通の人が考えるであろう、
・お金をどうするのか?
・ベトナムの家財道具はどうするのか?
・もとよりそんな走れるのか?
といったことは一切考えず、
「道が続いているんだから、どうにかなるだろうー」
「自分の脚が砕け散るまで、
とことん走ってみようじゃないか!!」
「っていうか、
めっちゃおもろいやん!この企画っ(。>﹏<。)」
と、あまりのクレイジーな企画に笑いが止まらなくなって、
始めてしまったのです。
その後のことについては、
たとえ失敗しても、
泥臭く生きるといったことには慣れており、
「まぁ、なんとかなるだろう」
という根拠の無い自信、
相当な楽観主義に物事を考えていました。
■ そうと決まれば、善は急げ。
勤めたばかりの仕事もすぐに辞め、
7月には辞表を出して、
8月に家財道具の一切を処分し、
9月頭に実家のある大阪に帰国。
9月14日には、
国内線とバスを乗り継ぎ、宗谷岬まで到着して野宿、
翌日15日から一路、鹿児島の佐多岬を目指して走りだました。
そこから始まって約2ヶ月後の11月13日、
約3,000kmの行程を完走しました。
細かいことはこちらで
■ 60日間走りきって、
『しばらくは走りたくないけど、やっぱり走りたい』
というのが、自分でも印象的でした。
(自分で言っているんですけどねw)
というのも、
日本縦断している時の自分は、常に満身状態。
「起きては食べ、食べては走り、
止まっては食べ、食べたら走る。
そして、限界まで走って、飯食って寝る。」
ただひたすら、これの繰り返し。
雨が降る日も、日差しが照りつける日も、
田んぼの畦道や、交通量の激しい国道も、
歩道がほとんど無いトンネルや、
人が賑わう東京駅も、火山灰が降り注ぐ中も、
とにかく、限界の一歩か二歩手前まで走り続けていたので、
「日本縦断とは、何なのか?」
なんて、考えている余裕もありませんでした。
そんな状態だから、
最後の最後まで、
「自分が走れるようになりたかったから、
日本縦断を始めたのだ」
ということを忘れており、
かつ、
ゴールした時点では、
「満身創痍がゆえに、思うように走れていない状況」
という、
結局、全然解決してないやん(゚∀゚)!!!
というオチ汗
それもあってか、
「一体、日本縦断とはなんだったのか…?」
というのは、まだ頭の片隅にあります。
■ どちらにしても、日本縦断が、
私にとって大きなきっかけになったことには、
変わりありません。
その後、
様々な人とご縁を頂けたり、
人に感謝する気持ちをより実感できるようになりました。
そして何より、
日本縦断によって、RUNの新たな物差しができたことで、
どんな大会に出ても、
日本縦断で毎日50km走ったことが基準となり、
ラクとか、ちょっとキツイとか、判断することができました。
それによって、気持ちも持ち様がすごく楽になりました。
少し話はそれますが、
人は誰しも、それぞれの価値観を持っています。
それを壊すことは容易ではなく、
ちょっとイレギュラーな物や事を聞いても、
すぐに日常が元の価値観に引き戻そうとします。
だからこそ、
インパクトのある、
そして、長く尾を引くようなことをしなければ、
価値観は覆せないのではないでしょうか。
そういう意味では、
60日間、フルマラソン以上の距離を走り続けるという、
クレイジーさ、継続性というのは、
私のRUNに対する価値観を見事に打ち崩してくれました。
それだけでも、日本縦断した甲斐があったのかもしれません。
一輪車に乗ったことがある人は、
自転車に乗ることなど、いとも容易く感じるはずです。
それと同じことを日本縦断という競技(?)を通して、
経験してしまったのです。
■ さて、
これでようやく今年のサハラマラソンについて書けそうです。
(長かったー)
というか、
出発は明後日の昼の便!!!
締め切りに間に合うか(・∀・)!?
[まとめ]
- 日本縦断は、走れる自分になりたいがために始めた。
- がしかし、毎日満身創痍状態であったため、
完走しても走れるようにはならず汗 - 日本縦断によってRUNの価値観がぶち壊されて、
他の大会にでても精神的にラクに挑めるようになった。
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